最も合わないスポーツとの出会い
私がフィギュアスケートと出会ったのは、娘が小学校5年生の頃でした。
息子が野球チームに入っていたので、妹は毎週土日に野球の練習や試合に一緒に連れていかれて、自分のやりたいことは出来ませんでした ごめん
お兄ちゃんが中学に入ったタイミングで、野球チームを卒業したので、今度は娘のやりたいことに付き合ってあげよう!という事で、スケートを始めることにしました
やるなら私も見てるだけはつまらないので、一緒にスケート教室に入ることにしました。これが、予想外に楽しかった
毎週日曜日に、娘と教室に行くのが楽しみになりました。
数回通うと、やはり貸し靴では上手くならないという事が分かり、靴を買いました。
これが意外に高いんですよね~。初心者用のものでも1足5万円位したかと思います
少し滑れるようになると更に楽しい。
でも娘は、中学に入ると吹奏楽部にハマってしまい、ちょうどスケート靴も小さくなってやめてしまいました。それで私もしばらくスケートから離れていました。
今から12年前に、起業すると決めて、外資系の企業で働きながら、起業のスクールに通い、人材紹介業の修行をしたり、経理代行やってみたりと、何社もかけもちでやっていたので、気絶するようになりました。詳細は、「血管迷走反射~パニック障害」というテーマで書いています。
気絶の原因が、交感神経と副交感神経のバランスを崩したということで、私の場合は、意図的に交感神経のスイッチを切らないといけないと言われました。
お風呂に入っていてもテレビをぼ~っと見てても交感神経が出っぱなしだというのです!どうなっとんねん
私「え~~じゃ~どうすればいいの~!!!」
先生「何も考えずに、心から楽しめることはないですか?」
私「あ、スケート!スケートやってるときは、何も考えられないし、気持ちよくて楽しいです。」
先生「それだ!週1日でもいいから、どんなに忙しくてもその時間を確保してやってみて下さい。」
と言われ、どんなに忙しくても週1日リンクに行くことにしました。
行けば行くほど楽しくなり、とうとう個人レッスンまで付ける始末(笑)
でも、症状は改善してきました。気絶しなくなりました。気絶するかも・・という予期不安もなくなりました。
まさに、フィギュアスケートは、救世主です
しかしこの救世主は、自分には最も合わないスポーツだったと、後々分かります
そして、この自分とは合わないスポーツと出会いが、自分自身の生き方や考え方もを変えるようなことになろうとは、この時は全く想像もしていませんでした